島旅行


写真は先日行った石垣島(左:川平湾)と日本の最南端、波照間島(右)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本とは思えない海の透明度と満天の星(波照間島では南十字星も見える)。

四日間のうち波照間島で二日間を過ごしましたが、おばあちゃんちを訪ねるような懐かしさが漂い、時間ぎりぎりまで海で遊んでお腹いっぱい食べて眠るという、まさに夏休みの小学生のような幸福な時間でした。

島内は信号もコンビニもなく街灯も少ないけれど、さとうきび畑が広がり、ヤギがたくさんいて、地元の人はみな気持ちのいい人々でした。

希少価値のある波照間島産の泡波というお酒は、泡盛独特の香りが少なくて美味しかった。

今まで沖縄料理は苦手だったけれど、新鮮な食材で地元の方が料理しているからか、ラフテー、島らっきょう、豚足入りおでん、ソーキそば、チャンプルーなどどれもとても美味しくいただきました。

暑い中で食べる黒糖のかき氷は、身体にすーっと沁み込んでいって、火照った身体を冷ましてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一緒に行った友人たちとは長い付き合いになってきたけれど、こうやって旅行という枠組みの中で一緒に過ごすことで、新たな発見や再確認することがあり、同時に自分を省みるきっかけとなりました。

例えば、

わたしは面倒くさがりなうえに先を急ぐ傾向があり、遅れをとらないように、効率よく、二度手間にならないように・・・と無意識に行動しているようで、自分の欲求は二の次とするところがあります。団体行動になると尚更そうです。

それを結局いつも後悔するわけですけども。

でも、彼ら彼女らは違う。

自分の興味のあること、行ってみたい場所、見てみたいもの、本当に欲しいもの、食べたいものをひとに伝える。または探し求める。

暑かろうが、お腹が減ろうが、場所が遠かろうが、次の予定があろうが、帰りの荷物が多くなろうが、関係なく。

ひとはひとだし、自分は自分。

ある人にとっては「当然じゃないか」ということでしょうけれど、わたしにとっては人生の指針のブレを指摘されたような、それくらいの気付きでした。

オーストラリアの生活では、好きとか嫌いとか、何となく気持ちが落ち着くといった自分の直感や感覚こそが一番の行動の動機だったわけですが、日本で生活するうちに、そういう感覚に従うということを忘れ、頭で考えて行動していたようです。

それが嫌で、直感に従おうといろいろ動きまわっていたはずなのに!

 

そして、彼ら彼女らはそんな欲求に素直に従いながらも、他人の欲求を受けとめたり面白がったりする余裕がある。

本人たちはそんなこと考えてもいないでしょうけれど、そんな余裕が普通にあると思う。

だからわたしもこんなに長く親密に一緒にいられるんだろうな、この環境に囲まれているなんて恵まれているんだな、と再確認しました。

 

旅行自体は本当に楽しかったですが、こんな思いもあったためにどこか少しだけ雲がかかったような、後ろめたさにも似た気持ちがあったのも事実でした。