「自分探しの旅」で海外へ行くことの意味を述べてみる

海外への旅の理由が「自分探しの旅」だと、目的がはっきりしないとか、仕事や社会から逃げるためとか、自分に甘いとか、

そんなふうに「あぁそういう感じね~」というレッテルを貼られて、とにかく敬遠されがちに思います。

だけど、わたしは「自分探しの旅」って大いにアリだと思ってます。

というか、人の旅の理由や経緯はそれぞれなので、理由が明確じゃなくても、「自分探し」でも、何でもいいんじゃない?と思います。

その旅の結果、「自分」が見つからなくても、本当の理由は社会からの逃げであったとしても、旅をした本人がその旅の時間をどう捉えて、今後にどう生かすのかということに旅の意味はかかっているのであって、他人が結果を観察できるものでもない

ただ、わたし自身いろんな国へ旅に行ったりしばらく異国に住んだりして、いろんな人に会いました。なので「そういう感じね~」という人の気持ちがわからないわけでもないです。

「自分探しの旅」という言葉に甘えて、ただただ毎日を楽しく過ごして刺激を求めることだけに時間を使い、自分や社会と向き合わずに逃げている人も、実際にいるからです。

そういう残念な「自称自分探し旅人」ではなく、しっかり「本来の自分を探す」ことが目的の旅にして欲しいと思います。

旅をしたい本人には何かしらの悩みや目的があるわけなので、それに正面から向き合い、何らかのかたちで改善されたり、何かが変わるきっかけになるように、存分に本来の自分を探してください。

そんな実りある旅にするためには、いくつか心構えがあります。

ここをミスるとただの観光旅行になり、「まあ楽しかったかな。はぁ、また同じ日常に戻るのか…」となるのが目に見えています。

これから旅に行こうかと考えている人も、「自分探しの旅」ってどうなの?っていう人も、ぜひ読んでみてくださいね。

「自分探しの旅」に出たくなる環境が整ってしまっている今の日本

現代の日本社会で、働きづらい、生きづらいという人はたくさんいますし、

社会に出て働くということや大学へ進学すること自体に意味を見いだせずに、ふわふわと不安定な若い人もたくさんいます。

日本の和を大切にする精神性はとても尊く、大切にしたいものですが、日本社会ではそれが行き過ぎた同調圧力にもなり、

社会に適合すること=自分を殺して生きること

となってしまっています。そういう環境で自分を見失いやすくなっています。

とくに真面目で素直な日本人は、そういう傾向が多く見られます。

少しでもこういう状態に当てはまる人を社会不適合者と言ったり、「病んでる」と言う人もいるかもしれないけど、この状態って身体とこころの正常な反応だったりします。

なぜなら、自分を見失いかけて、何らかの悩みや思いを抱えながらもそれを隠し、自分を騙して生きていたら、どこかで絶対に行き詰まりますから。

その行き詰まりが家庭や仕事、自分の体に影響していき、周囲を巻き込んでいく。

そうなる前に、「生きにくい」と悩むことや「学校に行かない」「会社を辞める」と決めることは、周りに流されないで自分のことをよく考えているという意味で、健全で全うでさえあります。

そういう状態の打開策の一つとして「自分探しの旅」に出るっていうのがあっていいと思うわけです。

本来の自分を探す「自分探しの旅」における大切な心構え

「自分探し」という言葉を、「殺したり隠したりしていた本来の自分を取り戻す」という意味で捉えた場合、その目的に近づくための旅の心構えがあります。

それは、『何においても受動的ではダメ』ということです。

「本来の自分」というのはどっかに落ちてたり誰かが与えてくれるわけではないので、受け身では何も見つかりません。それはただの観光旅行です。

ただ海外行けばOK!ということはなく、

何かを感じようという自主的な姿勢を持ち、経験しに行く、挑戦しに行くという自分から動くという心構えでなくてはいけません。

例えば

  • 誰かとすれ違ったときに自分から挨拶してみる
  • 自分でツアーを探してみる、参加してみる
  • 小さい個人店に入ってみる
  • 聞いたことのない食べ物を食べてみる
  • たまたま出会った日本人に深く話をしてみる

という感じで、それがたとえすごく小さな挑戦だったり、その結果失敗したり、得る結果に何ら感動できなかったりしても全然いいので、とにかく自分で決めて、実際にやってみること。そしてやり続けること。

これを言葉の通じない未知の国で一人ぼっちでやるのって、精神的に相当ハードです。

とくに最初が一番きついです。

やり続けてると慣れてきて、自分の中で普通になっていきますのでどんどん楽になります。

失敗や間違いも、誰も気にしてないし大したことないことがわかってくるので大丈夫。

日常からの解放とか身体の癒しだけを求めるなら、わざわざ海外まで行かなくても、日本のリゾート地でちょっと豪華なホテルに泊まって、エステでも受ければ十分ですよね。

貴重なお金と時間を使って「自分探しの旅」をしにわざわざ海外へ行こうとするくらいの思いがあるならば、乗り切れます。

そのままの自分を受け入れてくれる体験をする

「自分探しの旅」をしたいという人の中には、自分を殺して生きていたりして、自分を見失ってる人もいるのでは?と書きました。

そういうときは自分に自信をもつことができず、自己肯定感がゼロに近いレベルに激落ちしてます。

そんな人に、この旅の中でぜひ体験して欲しいのは、『そのままの自分を受け入れてくれるという体験をする』こと。

そのままの自分とは、肩書きも、学歴も、仕事の有無や内容、お金の有り無しに関係ない、裸の自分ということ。

海外では日本とは文化や価値観の違いから、人を肩書きなどの情報で判断しないというのが普通で当たり前です。

自己肯定感ゼロのときに、見ず知らずの外国人(自分)を対等な人間として扱い、優しい言葉なんてかけられると、たちまちあたたかい気持ちになります。

例えば道を尋ねたら、それは丁寧に親切に答えてくれた、あるいは道に迷ってたら向こうから勝手に助けてくれたとする。(よくある)

そんな些細なことだけでも、受け入れられた感を感じられます。その人にとって何の利益もないのに、なんでこんなに?と。

彼らはいつも「個と個」の関係ですよね。

私たちは日本だと、学生と先生、客と職員、年上と年下、家主と住人という感じで、肩書きを無意識に設定した上で関係を構築しています。

先生を下の名前で呼び捨てで呼ぶってすごい違和感があるでしょう?

これは、どっちがいいとか悪いとかいう話じゃなくて(それは時と場合による)、日本の社会システムに対してしんどくなってるなら、そういう対等な別の文化に触れてみるといいよってことです。

「あー、こんな自分でもいいんだなー」っていう、当然なんだけど、忘れていた自己肯定感を味わってください。

そういう視点で見ると、ただ道を歩いているとか買い物をしてるという何気ないことでも、存在を受け入れられているという感覚を味わえるので、意識して過ごしてみるといいです。

自分から動くような「自分探しの旅」をした結果、得られるものって?

では、そんな旅を経ていったい何が得られるのか?と言えば、

  • 知らなかったことを知る楽しみと新鮮な驚き
  • 自分でもできた、通じたという発見と喜び
  • 自分を受け入れてもらえるという安心感
  • 英語で話すことができたという勇気と度胸
  • 何か変わるかも、という期待
  • できなかったという情けなさと失望

といういろんな感情経験です。

これが残念な「自称自分探し旅人」の場合、何事においても挑戦せず、楽で楽しいことしかしないので、新鮮な感動や驚きが薄くなります。

行動範囲が狭く交流する人が少ないので、刺激が減っていき、すべてが面白くなくなります。海外もこんなもんか~ってなりがち。

得られる感情と経験って、お金→欲しいもの、のように単純で目に見えるものではないので、抽象的だし個人によって得られるものは変わってきます。

プラス、マイナスどんな感情もこころの栄養であり肥やしになり、あなたを癒したり、成長させたりします。

そうやって、これらの感情と経験はあなたの現実的な問題を改善する糸口につながっていくはずです。

「自分探し」ってそういう抽象的なもので、明確な答えや手段が手に入るわけではありません。

あなた自身が問題と向き合って、考えて、現実を変えていくものです。

ある人は今まで言えなかった自分の意見を少し言ってみたり、ある人は転職するかもしれない。

またある人は会社を辞めて少し休んでみたり、ある人は更なる旅に出るかもしれない。

そうして現実を動かしているうちに、自然と「本来の自分」は取り戻されてるはずです。

自分探しの旅を終えて

こういう「自分探しの旅」をしたあなたは、以前と比べてちょっと感覚が違います。

すぐにはわからなくても、いろんな場面でちょっとだけ前とは違う選択や発言をしていたり、周りの感覚との違いに違和感を覚えたりするかもしれません。

この感覚や「本来の自分」を維持できるよう、日本でも何かに挑戦したり、勉強したりと自分にフォーカスして過ごしてみてくださいね。