海外移住を決めるきっかけって何なのか?
「海外移住」と聞くと、多くの人にとっては現実離れした響きすらある、自分とは遠い縁のない言葉かもしれません。
例えば外国人の恋人ができたり、海外旅行に行ったときにちょっと想像できるかも、程度でしょうか。
個人的には、世界規模で引っ越し先を選ぶくらいの意味で海外移住を捉えてるので、きっかけがあれば日本へ戻ってくるも良し、別の国に行くも良し、という感じで永遠のものとは思ってないし、現実的に可能な話だと思ってます。
かと言って簡単に実現する話ではないでしょうし、住み慣れた便利な環境を捨てるには、相当の覚悟と意志が必要です。
海外移住を決める状況や心境というのは人それぞれ。
何が何でもあの国で生きるんだ!という強い意志と想いで向かっていく人もいますし、自然の成り行きのように移住の可能性が出てきて、それに乗ってするすると流れた結果、移住したという場合もあるでしょう。
海外移住経験者に実体験をインタビューしてみました

以前も海外移住の体験談をインタビューした記事を書きました。
今回は、移住までの過程も移住した国も全然違うタイプなので(というか体験談はすべてがオリジナルだしそこが面白いんですが)、「その気持ちわかる!」と共感できる場面があるかもしれません。
海外移住へ到るほどの気持ちはどういう経緯で得たのか、実際の永住権までの道のりとともにインタビューしてみました。
インタビューは下記の流れで行いました。
- プロフィール
- 海外渡航を決めたきっかけ
- 思うように突き進めなかったオーストラリアワーホリ
- ワーホリから帰国して大学に就職
- ニュージーランドでのワークビザ却下の顛末
- カナダでノミニープログラムを利用し、永住権獲得へ
- 看護師というアイデンティティ
それでは早速どうぞ。
奥村くんのプロフィール
奈良県出身で大学卒業後は看護師として救命救急センター(ER)で働いていました。
同僚のオーストラリアでの結婚式に参列したことをきっかけに海外に興味を持ち、2014年6月にオーストラリアにワーキングホリデー(以下ワーホリ)で行きました。
翌年、恩師からの依頼があって日本で大学講師をした後、ニュージーランド(以下NZ)へ再度ワーホリに行きました。
その後カナダにワーホリで渡り、現在は永住権を取得してカナダに住んでいます。
海外渡航を決めたきっかけ

看護師になった時はこれでキャリアアップしてやってく気持ちでしたが、同僚の結婚式に参列するためのオーストラリア旅行がきっかけで、それが大きく変わりました。
オーストラリア滞在中、大学まで勉強したのに全く英語が話せないというショックな経験をしましたが、それ以上に印象的に感じたのは、周囲が「誰も自分の失敗などを気にしてない」という解放感です。
超高齢社会で斜陽な諦めが多く漂う、日本の湿度の高い夏の空気と違い、陽気で爽やかな空気と太陽を反映するかのような、若々しいエネルギッシュな感じ、人々の優しさやストレスの少ない生活スタイルを体験しました。
また、幼少期から僕は、親からずっと「手のかからない子ども」「良い子」であると言われ続け、その言葉に洗脳されたかのように期待通り動こうとしながら育ってきたところがあります。
そのためか、無意識に相手を優先し、自分の感情や意見を捨てていることが多い不完全燃焼のような人生でした。
子供の頃から自分で失敗してもいいくらいの選択をしたり意見を主張したりするなど、自分の限界を出し切っていない感じもあり、どこかでずっとストレスに感じていたのだと思います。
そういう背景もあり、オーストラリア旅行で感じた「誰も気にしてない、期待してない」解放感がとても魅力的に感じ、自分も今までの人生をリセットし、なにか新しく自分が思うことをやり直せるんじゃないかと思いました。
旅行から帰国した時にはワーホリで再び訪れることをすでに決めていました。
加えて、オーストラリアの看護師の労働環境は、まさに自分が描いた理想を表すかのようで、残業はなく働いた分だけしっかり賃金をもらえて、仕事の後や休日を充実させているようでした。
当時の自分が働いていた病院は、仕事へのモチベーションが高く、先輩たちもしっかり鍛えてくれて、勉強するという意味での環境には恵まれていました。
ですが、仕事開始前と後に情報収集や申し送りなどのため、時間外の仕事や残業がありましたし、それらの手当は師長の采配で決まる雰囲気もありました。
キャリアアップ=給料アップでない日本の看護社会で、定年まで給与や労働時間は変わらず、ただ普通の看護師として患者さんと向き合う人生で良いのかと疑問に思いました。
かと言って、現場で肉体的にきつい仕事を続けるのでなく、管理者側になるためにキャリアアップを目指すというのは、ただの逃げのようでどこか不純に感じて嫌でした。
そういうこともあり、海外で看護師として働けたらいいいなと思いつつ、一度味わったオーストラリアの空気感に改めて触れるため、四年半働いて一人である程度できる技術を学んだ後に退職し、オーストラリアへ行きました。
思うように突き進めなかったオーストラリアワーホリ

渡航前、インターネットで検索して知ったシドニーの現地留学エージェントAPLaCの田村さんがたまたま日本に帰国していて、直接お会いすることができました。
渡航したのは2014年6月。
シドニーでは、語学学校やシェアハウスでの生活、バイトや新しい友人との旅行などそれなりに楽しんではいましたが、日本の生活と変わらない感じで過ごしていたように思います。
とにかく英語の壁にぶち当たり、語学学校では何を言ってるのか聞き取れず、一般コースに加えて医療英語の初心者コースも受講してみましたが、やればやるほどその壁が厚くなっていきました。
シドニーの生活に行き詰った感じがあったので、学校の途中でホリデーを申請して旅行へ出たりしました。
他の留学生や海外体験談にあるような、それまでの殻を突き破ることができず、自分の出来そうなことをやっていました。
そうすると、ローカルのオーストラリア人と関わることもなく、バイト先の日本人と一緒にいて日本語を使ったりして、あまり日本と変わらない環境になってしまうことが多かったです。
当時僕は、ニュースやメールなど英語で書かれた文章をなんとか読むことができましたが、リスニング力が壊滅的な状態でした。でもリスニングスキルを伸ばす方法がわからず逃げていました。
そのころ、大学時代の恩師が新しい大学へ移ることになり、助手として仕事の誘いを頂きました。
このままの状態では、たとえオーストラリアが快適な場所であったとしても、数年単位で長期滞在することは現実的でないと思いました。
先生に恩を感じていたし、何よりオーストラリアでの生活が思っている以上に充実してなかったこともあり、仕事の誘いを受けることにしました。
新年度からの仕事と帰国予定日が決まり、そこから逆算して旅行したりファームで働いたりしましたが、実は頭の中はもう日本に帰るモードになっていたように思います。
ワーホリを楽しめるだけ楽しんで帰ろうという、成長へのモチベーションみたいなものが低いままになってしまった。
田村さんや友人などから助言をもらい、自分の弱点や悪い傾向が見えてきてはいましたが、思い描いていた「自分の限界を出して自分を突き破るようなこと」ができず、自分が何もできないということを痛感しました。
ただ、オーストラリアでの滞在自体は、家族の期待に応えなくていい、気にしなくていいという環境であり、初めて訪れた時に感じた様に精神的な解放感がありました。

日本では、無意識のうちに自分が我慢していたということを海外生活で明確に感じました。
日本に戻ったら、相手を優先して自分の気持ちを後回しにしてしまう傾向が戻るような気がして、怖いし不安に感じる部分もありました。
なので、帰国の予定は早々に決めましたが、帰国する時はオーストラリアに未練残しまくりでした。
ワーホリから帰国して大学に就職
帰国した後は予定通り大学に就職しました。
僕は学生の時に全然勉強しなかったダメ学生でしたが、そこから改心してERで働いたという経緯がありました。
そういうダメ学生に、どうやって実習で頑張って勉強してもらうか、どういう看護師になるかみたいな、そういう視点から学生を教えるのは楽しいかもしれないと考えていました。
実際、学生と実習を頑張っていくのは楽しかったのですが、大学で教員をやる限り論文を書き続けなければならず、それをして上に立つ者が一番という世界が、僕には合いませんでした。
加えて、何時間も忙しく働く人も、数時間しか働かない人も同じ固定給ということにもうまく馴染めませんでした。
就職する時からうっすら考えていたNZへのワーホリが自分の中で決定的になり、一年半勤めてからNZへ二度目のワーホリに向かいました。
ニュージーランドでのワークビザ却下の顛末

NZに行った時にまず考えたのは英語力の向上です。
オーストラリアで通った語学学校の提携校があったので、そこへ通いながら仕事を探しました。
最終的に、NZ人と東京の料亭で女将をしていたこともある日本人が共同経営者という、本格的な料理や酒、サービスを提供するきちんとしたレストランで仕事を見つけ、働き始めました。
今まで経験したことのない仕事をトレーニングさせてもらいつつ、ハイシーズンでは週60時間くらい働いていました。
どこのレストランへ行っても劣らない質の高いサービスの方法を経験できたことは大きかったです。
なので、とても忙しくハイプレッシャーな労働環境であっても、サービス残業などの不正もなく、賃金はしっかりしていて不満や理不尽に思うことはありませんでした。
オーナーを信頼できたし、未経験だった自分でも対等な関係で働けました。
そのうち、店側からワークビザを取らないかという話を頂き、馴染んできたその環境に長くいたかったので申請の準備に取り掛かりました。

実はNZのワークビザ申請には、最低必要条件として数年の職業経験が必要でしたが、それまではグレーゾーンの条件であり、未経験の人でも他の条件が良ければワークビザが下りたりしていたそうです。
ですが、2017年の僕の申請のタイミングで移民法の大改訂があり、必要条件が厳格になり、条件が満たされない僕の申請は却下となりました…
店側は別の手段を講じてくれていましたが、もしワークビザの先に永住権を目指す場合、NZでのワークビザや永住権の取得条件が厳しくなっている状況があるし、今後も移民法に振り回されるのは嫌でした。
実は、ワークビザの申請と並行して、保険のつもりで年齢ぎりぎりで取得可能だったカナダのワーホリビザを取得していました。
ワークビザが手に届く範囲にあることがわかったし、今度はカナダで永住権を目指してやってみようと思い、ワーホリ三国目のカナダへ向かいました。
カナダでノミニープログラムを利用し、永住権獲得へ

カナダで永住権を狙うには、ユーコン準州というアラスカの東隣にある州のノミニープログラムという制度を利用して永住権申請をするのがよいと聞きました。
ユーコンノミニープログラム(Yukon Nominee Program、通称:YNP)はカナダの永住権を取得(=移民)するためのプログラムの一つでユーコン準州政府が国の移民局(※IRCC)とパートナーシップを組んで実施され、州内の持続的な労働者の確保を主な目的として実施しています。
ユーコンナビより
ユーコン州で求人が増える時期までカナダの別の都市で働いたり、ユーコンでノミニープログラムを始めたところ解雇になったり、と紆余曲折ありました。(詳しくは下記の体験談詳細をぜひ読んでみてください。)

最終的には永住権を取得し、今はカルガリーという新しい町に引っ越してきたところです。
看護師というアイデンティティ
もともと国境なき医師団の活動に興味があり、日本のERである程度の知識と技術をつけたのも、海外で看護師として働けるかもという気持ちがあったからでした。
ですが、オーストラリアのワーホリから始まった僕の海外生活を振り返ってみると、僕がやりたかったのは看護師ではなかったのかもしれないと思います。
僕の場合、周りの人と環境が自分にとって気持ちのいいものであることが納得する基準であり、それが満たされればどんな仕事でも、どの国でも、割と楽しく過ごせていました。
どちらかと言うと「看護師」というのは、自分が日本に帰っても何とかなるという甘えになっている気がします。何かあったら帰ればいいやって。
この甘えがあるから「絶対ここに住むんだ!」っていう捨て身の覚悟みたいなものが自分にはない。
僕は運よくカナダで永住権が取れましたけど、結局最後まで熱量が上がらない感じで、それがコンプレックスでもあります。
もっと自分の限界を出し切って、自分を突き破りたいという思いがずっとあります。

なので、今は自分への挑戦も兼ねてカナダで看護師資格の取得を目指しています。
一から免許取得の勉強やて、専門職としての英語でのコミュニケーションスキルを求められるので、挑戦しがいのあるハードルがあります。
看護師資格を取得して仕事が見つかれば、今までのようなカジュアルな仕事以上に福利厚生や収入も安定します。
この挑戦が自分を突き破ることに繋がればいいなと思っています。
そしてもう一つ向き合わなければいけないと思っているのは、親との関係です。
日本の同調圧力みたいなものに敏感なのも、海外で解放感を感じるのも、親の存在が大きいです。
その親との関係性から逃れるために点々と海外生活をしている所もありました。
僕にとっては親の存在が同調圧力に感じるので、親や周囲の期待に関係なく自分の思うことを達成したくて海外を選びました。
いろいろと口出しされるのが嫌でできれば関わりたくないのですが、いつかは直接向き合って親に話をしないといけないでしょう。
ずっとそれが面倒に感じ、日本に一時帰国した時も有耶無耶にし、問題を先送りにしてきました。
今まではワーホリやワークビザという期限の決められた海外生活でしたが、これからはカナダで人生の基盤を作っていくことになるので、今は遠く離れた親と後悔のない関係を作れるよう向き合いたいと思っています。
楽しいばかりではない充実した時間への準備

奥村くんの数年に渡る海外体験を読んで、
「結局最初からカナダに行って永住権を目指せばよかったのでは?」
と思った方がいるならば、それはちょっと違うと思います。
オーストラリアでの挫折に近い体験があったから、再度別の国でやってみようと思えたんだし、日本での再就職があったからやっぱり海外にいる方が気持ちがいいと確信したし、NZで手応えを感じたからカナダに向かっています。
全部必要だったと捉えれれば、それがどんなにつらい過去だったとしても、自分を後押しするパワーになります。
彼のこの数年間は、一見遠回りに見えるけど最短だったかもしれません。
何が自分をハッピーに納得させられるかを浮き彫りにさせるための時間だったように見えるし、向き合わなければならない課題に向き合う準備をする時間だったようにも見えました。
どこへ行っても楽しく過ごしてるように見えましたが、もしかしたら、これからは自分の能力をフルに出したり、リミットが勝手に外れるような、楽しいばかりではないけど心から充実した時間に出会うのかもしれない、と予感しました。