ノンバリアの場


わたしはリハビリ専門職の作業療法士です。

総合病院で5年間、訪問リハビリで3年ほど(現在に到る)、加えて老人保健施設で働いた経験もあります。

患者さん、利用者さんと関わる中で、どの職場でも感じたのは、「楽しそうじゃないなぁ」です。

家や外で倒れて、救急車で運ばれて入院生活を余儀なくされている方はもちろん楽しくないでしょうし、早く普段の生活に戻りたいでしょうから理解できます。

でも、ご自宅で暮らしている方々に関わる訪問リハビリや、自宅から施設に通いで来ている人達も、楽しそうじゃないのですね。

わたしには、彼らの生活は過度に保護され、自分以外の誰かの判断や意見が飛び交い、受け身の人生を強いられているような、医療・介護者側から「勝手なことを言わない、いい患者・利用者」という枠にはめられているような、

そんなふうに見えることがあります。(もちろん、症状や状況によって仕方ないこともありますが。)

年をとればそうなるのも仕方ないと考えますか?

障害を持ったら楽しい生活はないと考えますか?

そうかもしれません。

わたしは高齢ではないし、障害も持っていません。当事者の方の気持ちを真に理解することはできないでしょう。

でも、彼ら彼女らには、

楽しんで生きたり、失敗して落ち込んだり、仲間や家族と笑ったり、うまくいかなくてイライラしたり、緊張する場面があったりという、いわゆる普通の生活を送る権利があるし、その能力や可能性もあるんです。

わたしは日々身近で彼ら彼女らと関わり、それを感じています。

ただただその能力を発揮する機会がなく、手段を知らず、気持ちが準備できていないだけのような気がするのです。

これは、身体機能が元通り回復するとか、痛みがすっきり取れるとか、劇的に記憶力が戻るとかそういうことではありません。

身体の様々な不具合と共存しながら、可能性や能力を発揮できる「場」があれば、そのひとの生活に変化が起きるかもしれない。

自由で、幅広く、緩やかで、柔軟な、何かに属するわけではない「場」を設け、そこに様々なひとが出入りする風通しの良い空間をつくれば、誰かが楽しく生きていけるかもしれない。

障害の有無、年齢や性別、または国籍や学歴やその他なんでも大きく受けとめられる、垣根の無さと風通しの良さを兼ね備えた空間。

そんな場所があれば、何より、わたし自身が楽しく、自分の可能性を広げられるし、いろんなひとと対等に関われるように思う。

 

まだまだわたしの頭の中の妄想段階で、想いが先走っている感がありますが、

そんな可能性のある場所が存在するだけで、自分が老いたとき、例えば事故にあったときのことを想像すると、希望がもてませんか。

もっと具体的に、自分の思いや構想案などを書いていこうと思います。