国家資格を使わずにフリーランスでWeb制作業を始めた理由

私はリハビリ専門職の作業療法士の資格を持っています。

常勤・非常勤勤務を合わせて10年以上この資格をもって仕事をしてきましたが、今は作業療法士としては働いていません。

現在はゲストハウスで働きながら、フリーランスでWeb制作の仕事を受注して生活しています。

いろいろ謎な経歴でちょっと特殊かもと思うので、この生活スタイルに到るまでを書いてみようかと思います。

  • 国家資格に固執しなくていいかって吹っ切れたこと
  • 本業を持たずに複数の仕事を掛け持ちするのがデフォルトもありだなって思えたこと
  • 自力で稼ぐ手段を探して見つけたプログラミングのこと

今の働き方とか生き方に悩んでる人の、ヒントになったら嬉しいです。

普通に病院で作業療法士として働いていた仕事を辞めたきっかけ

私は大学卒業後に就職し、5年間働いた後に病院を辞めてワーキングホリデーでオーストラリアに行きました。

理由としてはいくつかありますが、

  • 仕事以外の職場内の人間関係や非効率的な雑務の多さ
  • 次の休みのことしか楽しみがなく、いつの間にか季節が過ぎていくこと
  • →「この生活を生涯続けていく気にはなれない」という明確な気持ちがありました。

そういう、生活や人生における仕事のポジションとは?意味とは?というもやもやした思いを抱えていたので、いい区切りだと思って辞めたのでした。

オーストラリアでは、前職とは全く違う仕事を選び、意識的に医療、福祉の仕事を避けました。(というか単純に医療、福祉の仕事に就きにくいということもありますが)

その後、一時帰国をしたり別の国へ旅行に行ったりと3年間定職を持たず、医療職とは無縁の状態でした。

そんな住所不定無職な自分が作業療法士に戻ったきっかけ

日本に帰国してふらふらしていた私に、元同僚の作業療法士の友人が何気なく言った「戻ってみたら?」の一言で、今まで自分の中に思いつかなかった「作業療法士として再び働く」という選択肢が浮かびます。

いろんな場所でいろんな仕事をしてみて思ったのは、楽な仕事なんてなくそれぞれ大変なことはあるし、理不尽な環境や待遇をされたりもするということ。

楽な仕事がしたいから選んだ、スキルのいらない誰でもできる仕事は、仕事の楽しさとか意味だとかが見えずにすぐに飽きてしまう。

持っている資格を使い、相手(患者さん)に対してある程度自分が考えたオリジナルな関わりが許されて、内容は専門的で誰でもできるわけではないという作業療法士の仕事は、以前よりも魅力的に見えたのでした。

3年のブランクに対する怖さや不安はなぜか皆無でした。

選んだ仕事は訪問リハビリという患者さんのおうちにお邪魔してリハビリを行う仕事。

病院と違って誰の目もなく自由に仕事ができることと、リハビリ室のように限られた空間にいなくていい訪問スタイルは私に合っていたようで、ストレスなく過ごせました。

結果的に常勤、非常勤と勤務形態は変わったものの、5年ほど携わりました。

国家資格にしがみついてる気がする

作業療法士として非常勤で働くのは、他の普通のアルバイトよりも時給や待遇がとてもいいです。

その分、専門職としての責任が伴うし、技術や知識をアップデートして磨いていかなくてはいけません。

私は、今でも作業療法士の仕事はとても意義ある仕事だと思っているし、携わってきた誇りもあります。

ですが、実務を楽しむことができませんでした。時に苦痛ですらあったりしました。

(仕事なんてそんなもん、という意見もあるのは承知ですが、私は楽しめないことに人生の時間を費やしたくないという想いがあります。)

患者さんと話すのは興味深いし、回復されたり表情が明るくなったりして変化を一緒に喜べるのはこの仕事の醍醐味だと思います。素晴らしい体験でした。

でも私は、いつもその責任の重さに負けそうになったり、自分の技術力の無さとそれをカバーする情熱の欠如に気づいていました。

それでも、地元から出て一人暮しをさせてもらいながら大学まで出してくれた両親へ、負い目のようなものを多少(一時期辞めてたけどもそれなりに)感じていたし、

「せっかく取った国家資格を生かさないなんて勿体ない」という気持ちもあったので、辞めてはいけないと思っていました。

そんな日々が続いたある日、ふと

「自分の考え方は何に対しても作業療法的だなー」と思ったんですよね。結構驚きでした。

例えば、作業療法では、「人間を分析する時にはその人の環境や趣味、役割、生活歴、その他いろいろひっくるめて全体を含んだ人間として捉えましょう」と学びます。

自分は普段から普通にそう考えてるとこあるなーって思えたんですね。

なんか、それで吹っ切れました。

もう自分の中に作業療法的な考え方が溶け込んでいて離れることがない。

自分の考え方、人との関わり方、生き方のベースがすでに作業療法的であり、それを通して今の自分が成り立ってる。

そんなベースが構築できたなら、国家資格に関するあれこれの元は取れたなーって納得できた。

それで、すっきりと資格を手放しました。

資格はその人の特徴の一つ、スキルの一つであって、しがみついて苦しんでいるのは勿体ないと思います。

手放しても、その知識とスキルは離れないから。

仕事は苦しいもの。ストレスを感じようと、憂鬱になろうと、それが普通って思う人が多いように思います。

いろんな状況や環境があるので、その考えが間違っているとは言わないですが、苦しい時間が続くなら、一度その環境から物理的・心理的に少し離れて観察するといいかもです。

なぜ全く畑違いのweb制作(プログラミング)を選んだのか?

オーストラリアでのワーホリ時代、いつからか二つ以上の仕事を掛け持ちすることが多くなりました。

平日はカフェで朝から夕方まで働き、夜22時から24時まではコールセンターで働く。という感じ。

キツイように見えますが、全く職種が違うので案外負担はなかったです。

その掛け持ちスタイルは、日本に帰国後はむしろ普通になり、作業療法士の仕事を続けていた時期も含めて、今も二つ以上の収入源があります。(多い時は四つくらい)

日本ではきちんと就職している正職員が良しとされているように思いますが、私にはそう思えず、むしろいくつも収入源があった方が安心だと思っています。

複数の収入源を持つことと同時に目指したのは、「自力で稼げること」です。

作業療法士免許を持っていたって、体調を崩したり怪我をしたり、出産や育児、介護などで十分活躍できない状況になる可能性があります。

会社に勤めれば保証があるとしてもいつかは期限がきますし、逆に言うと会社がないとお金を得られない。それって社会的にかなり弱いし、その危うい依存している状況にいるのは恐いと思いました。

そうして情報収集をして「これなら自分でもできるかも!」と思えたのがプログラミングだったのです。

そんなふうに思わせてくれて、この畑違いも甚だしい業界に安心して踏み込めたのも、はらブログのおかげです。少しでも興味を持ったらぜひ覗いてみてください!

プログラミングの勉強は、飽きっぽい私でも楽しんで続けられたので性に合っていたんだと思います。

同時期にTwitterを始めて情報収集源がどんどん広がり、自分と同じように異業界にいながら頑張る人たちの存在を知り、「あ、これ、頑張れば収入の柱にできるかも」と希望を持ちました。

現在の仕事状況とこれからの目標

私は現在2~3つの仕事を組み合わせながらweb制作の仕事をしています。

自分の性格上、身体を動かす仕事とパソコンに向かい続けるWeb制作の仕事は両方やっていた方がストレスなく過ごせます。

まだまだスキルも知識も勉強不足で情けないほどですが、そのインプットの時間すら楽しいと思えるので、始めてみてよかったと本当に思います。

今後も営業活動や学習を継続して安定した収入を目指します。

もしかしたらまた作業療法士の仕事をするかもですが、そういう未来が予想できない感じが好きだったりします。