海外旅行をする人というと、ビーチでトロピカルドリンク片手にのんびりしてたり、ヨーロッパのおしゃれなカフェで寛いだりという、ちょっと華々しいイメージかもしれません。
実際は、バックパッカーとしてタクシーの値段交渉したり屋台ごはんを食べたりしてるわけですけど、とにかく、明るい活動的な人物を思い浮かべるかもしれません。
私は、今でこそそのイメージに近いかもしれませんが(思い込みかもですけど)、元々は自分に自信がなく、ネガティブで鬱々と思い悩むことが多い人でした。
ワーホリに行く前の会社員時代、毎日次の休みの日しか楽しみがなく、心身ともに不健康だったころと比べると、今は毎日がほどほどに楽しいですし、嫌だと思うことをする時間が減りました。
その変化のきっかけは、オーストラリアにワーホリへ行ったことです。振り返ってみると、そこから徐々に気持ちが変わっていきました。
この記事では、なぜそんな暗く鬱々とした人間が、ほどほどに楽しく朗らかに生きられるようになったのかを書いていきます。
海外移住したとか国際結婚したとか、そういうわかりやすい結果や成果はなく地味ですが笑、日本に帰国して生活しているので、親近感が沸いて馴染みやすい話だと思います。
自分の性格に悩む全ての人に当てはまるわけではないですが、「自分も変われるのかもしれない」という希望とか、行動することで可能性が生まれるということを感じてもらえれば幸いです。
ネガティブ思考がデフォルトで自分が嫌いなわたし
幼少期から学生時代、会社員時代にかけてずっと、わたしは自分が好きになれませんでした。
小さいころから運動音痴で成長も遅く、社交的でもないわたしは、いつもどこかに劣等感を抱いていました。
転勤族だったので持ち物や習慣がいつも周りの友達と違い、普通になりたいと思っていました。
と言っても、幼少期や小学校時代はその時々で楽しんでもいましたし、ひどいいじめに遭ったわけでもなく、それなりに友達もいました。
中学、高校にかけて劣等感や周囲と比較して落ち込むことが徐々に増え、大学、就職でピークという感じです。
常にそういう状態なわけではなく、そういう周期がやってくる、あるいは何かきっかけ(受験がうまくいかないとか好きな人に振られたとか)があった時にひどく落ち込んだり自暴自棄になったり、周囲に八つ当たりしたりしていました。
ピークの会社員時代は、自分優先で物を考えていて、周りに優しくできない。そんな自分が嫌で自己嫌悪に陥るという悪循環にはまっていることが自分でわかっていました。でもどうにもできずにいました。
孤独感と虚無感でいっぱいな時は、一人でいられなくて精神的に誰かに依存した状態でもありました。
そんなわたしが海外へ行ったきっかけはなんだったのか?
大学生の時にオーストラリアへ短期留学に行った時間がすごく楽しかったので、今度行くならもっと長く滞在して住んでみたいと思っていたことが、ワーホリ(ワーキングホリデー)へ行くことを決めた一番の理由です。
5年という区切りで会社を辞めることは前々からなんとなく決めていましたが、先に書いたような当時の心境もあって、全てを一掃してリセットしたかったことも理由の一つです。
27歳だった当時、大学を出させてもらって国家資格(作業療法士)まで取り、同級生が次々と家庭を持つ中で、わたしはこんなことをしていていいんだろうか?
と悩むことは何度もありましたが、今行かなければ長期で行く機会はないかもしれない、とも思っていたので何とか自分を押し進めました。
一人暮らしをしていたので、家具を処分し、荷物を実家へ送り、部屋を引き払って車とバイクを売り、携帯電話を解約し、どんどん身辺整理をしていきました。
そうして身軽になった私は、オーストラリアのシドニーへ向かいました。
楽しいはずの海外でも、結局同じネガティブ思考で悩むイマイチな日々
「普通の人が歩むレールを外れて大胆な決断をしてしまった!」と不安半分、愉快な気持ち半分でオーストラリアへ渡りました。
が、世界は(日本も含めて)広くて多様で、もっとぶっ飛んだ経歴の人はごろごろいました。
私なんて真面目で普通のただの一日本人でした。
その事実は拍子抜けするほど気楽に感じました。自分がどれだけ狭く小さな世界で悩んで藻掻き、出口が見えない苦しさに殺されそうになっていたか。(ちょっと言い過ぎか笑)
その多様性の中にいる気楽さと、ハッピーなイメージの海外にいれば、すぐに私自身もハッピーになって人生好転していくような気がしていました。
けど、甘かった。
毎日が楽しくてわくわくする生活を思い描いていましたが、なにかが違う。
最初こそいろんなことが新鮮で楽しかったですが、その日々に慣れるにつれてしっくりこない感じが出てきました。
心から楽しんでいない気がする。
語学学校では友人もたくさんできたし、バイトもしたし、シェア生活もしたし、パブで飲んだりBBQもたくさんしたけど、なんか満たされない。
学校を卒業して旅行したりファームで仕事をしたりと、傍から見たら順調で充実しているはずのワーホリ生活も、ずっともやもやした気持ちを抱えていました。その時々で頼れる人に依存もしていました。
なんか、結局日本にいるときと同じだな。
と気付いてしまうと、希望を絶たれたような、こんなとこまで来て何してんだろう感が押し寄せてきました。
ワーホリ一年目の最後に、同胞日本人の生き方をサンプリングし始める
ファームでの仕事を終えて、数日滞在するつもりで近くの町へ行きましたが、その町の居心地が思いのほかよくて、そのままだらだらと数か月滞在していました。
そこでは、学校で会った友人たちよりも、更に個性の強い日本人たちに会いました。
その個性同士が干渉することなく同じ空間を共有して、他の人種の人たちも混ざりながら、不思議な懐の広さを作っていました。
この、個性もなくやりたいこともはっきりしない、特徴のない(と思っている)自分をそのまま受け入れてくれる雰囲気。ここに自分がいても別にいいよ~という感じ。
おそらく、私はその空間のおかげでうまく緩んだのかもしれません。
そんな個性が強く、自立していてかっこいいなーと思っていたみんなと話すうちに、彼ら彼女らも悩んだり失敗したりしながら今があることを知ります。
比較することの無意味さと自信をつけるということ
みんなは初めからやりたいことや、自分の考えがはっきりしていて迷いがないんだと思っていたけど、そうではなかった。みんなあれこれやって悩んでる。
それを聞いて「私も一緒で、あれこれやってる最中なんだ。私が進んでる道は間違ってなかった。」と自分がオーストラリアまで来たことが、初めてしっくり思えました。
同じような環境で今まで生きてきた、私と同じような日本人が、それぞれの考えでこのふわふわした海外という環境に来て、それぞれの道を模索している。
バックグラウンドが違って目指すものも違うから、彼らと自分を比較することは無意味。それで落ち込むことも無意味。
地味で起承転結の起伏がなくて目立たないけど、私は私なりのペースで自分の進む道を決めていけばいい。
これで「自信がついた」とは言い難いですが、今の自分の立ち位置というのがしっくり収まったおかげで、一本芯が通ったようなブレにくい状態になったように思います。
その後は、大きくもないこの町で、毎日なかなか面白く過ごしました。
ワーホリ二年目の海外生活体験を通して移住でなく「旅」を選んだ
一年目のワーホリを終えて一時帰国し、アジア旅行を挟んで二年目のワーホリで再びオーストラリアへ。
どう過ごそうか計画が全くなかったので、とりあえず友人のいたメルボルンへ。
タイミングよく仕事が見つかったのでしばらく滞在することにしましたが、結果的にそれから半年間仕事をしまくってました。
私はワーホリに行く前から、旅行でなくて「生活」をしてみたいという憧れがありました。
このメルボルンでの半年間はシェアハウスに住みながら仕事をするという、まさに「生活」した期間でした。
夢の海外生活をしてみてもちろん楽しかったですが、半年住んでみた最終的な私の感覚としては「日本と同じだな」と感じました。
私が夢みてた海外生活は、「何気ないことでも充実した気持ちになって、職場環境なんかもハッピーで、休みには友人と集まって楽しい時間を過ごす悩みのない日々」というイメージでした。
生活するとなると、そんないいことばかりなわけがないって今ならわかりますが。
当時働いてた会社(オーストラリアの会社)の日本人同僚の悩みは、
- 子どもの日本語教育について
- オーストラリアのファッション事情について(日本と比べると残念な感じ)
- キャリアについて
- 家について(土地がものすごく高いので郊外にしか家が買えない)
- そして老後について(もし自分がボケて日本語しか話せなくなったら家族は困るだろうなぁ、とか)
内容やその深刻度は人によるし、内容は海外在住者特有ですが、オーストラリアに住んでいても悩みはあるんだなぁ、と当たり前のことを目の当たりにしました。
日本とオーストラリアを比べて、いいところと悪いところがあるのは当然で、そのどこに焦点を当ててメリットと見るのか、どこをデメリットとして受け入れるのか、人によってそれぞれで正解はないです。
メリットが多くて魅力的ならば海外移住という選択をするでしょうし、デメリットは気にならないでしょう。
私の場合、半年間の「生活体験」を通してここが日本と同じ(どっちのメリットもデメリットも同じくらい)だと感じるなら、海外移住するのではなく、色んなところへ自由に行ける「旅」のスタイルが合ってると思ったんです。(と言っても未来はどうなってるかわかりませんけど!)
その頃の私には、多くの時間と金額、労力を投資をしてひとつの国に住むことを選ぶ覚悟は生まれなかったんですね。
なぜ旅だったのか?
海外移住は選ばなかったけど、その後旅行を繰り返してるってことは、私は何らかの理由で海外または旅の要素が必要らしい。
これってなんなのか?
旅には、まだ行ったことのない国で未知の文化・食べ物・習慣・言葉に触れてみたいという好奇心と、
スタンプラリーみたいに行ったことのある国を増やしたいというコレクション的な欲求が刺激される面があります。
信じられないことを目の当たりにして自分の概念の幅を広げたいっていう成長欲求みたいなものもあるかもしれません。
それらしいこれらの理由は確かに事実なんですけど、実は全部後付けな感じがします。
それらの理由の根底にある、わたしの旅に出る理由は「死への恐怖」だと思います。
話が暗くて重くなりそうなので詳しくは書きませんが笑、いつ死ぬかわかんないんだから見れるうちに見ておきたい!っていう焦燥感みたいなもので旅に出るのかな、と思います。
この割と強い根底の理由があるから海外旅行を繰り返し、それができる仕事環境とかを整えながらいろんな経験をしてきました。
その経験を通して自分への自信をちょっとずつ養い、セルフイメージを回復させてきたように思います。
自分を変えるきっかけは、別に「旅」でなくてもいい
私は「旅での様々な経験から自信をつけていってセルフイメージが回復し、自分嫌いを脱却した」
ということになりますが、最初から自分を変えるために旅を選んだわけではなく、旅を通して結果的に変わりました。
私の場合はたまたま旅が手段だったし、旅行自体が好きなので人にもお勧めしていますが、人によっては手段は旅でなくていいと思います。
自分が気づいたら今まで何気なく続けていたこととか、自分が楽しいと思えることなど、何でもいいです。
大切なのは、自分の人生に感じる違和感とかそれを改善したい、もっと良くなりたいっていう想いを持ち続けて、向き合い続けることだと思います。
日常は、何も考えずに過ごせるようにできています。可もなく不可もなく、ある程度生活できるように、自分で自分の環境を作っているはずです。
その中で、自分のもっといい状態を目指して悩みに向き合い続ければ、目に留まる情報が変わり、行動に移すきっかけが訪れて、現状は変わっていきます。
日本で自分らしく生きること
日本では、大学出て就職して結婚し、定年(もしくはそれ以上)まで働き続けるという、一般的に普通と考えられている暗黙のコースがあるように思います。
数年前と比べて仕事環境や経済状況はだいぶ変わったし、コロナウィルスによってリモートワークの推進や人々の幸せに対する考えは変化しています。
この大きな動きは生活スタイルの多様性を促して、自分らしく生きやすい環境へ変わっていく可能性があります。
ですが、恐らく家族や親戚、友人の中には従来の安定(と思われていた)コースしか知らない人もいるでしょう。
私は、そんな環境で藻掻いて苦しんでいる誰かがいるなら、留学や海外旅行という道があるよって勧めたい。
自分も苦しんでたけど変わったという事実があるし、いろんな生き方をしている海外で出会った友人がいます。
私は、今後も留学や海外旅行を勧める発信をしてそんな人たちの手助けをしつつ、自分がどう働くのが一番心地いいのか、どういう手段があるのかを模索して、日本で自分らしく生きられる方法を考えて動き続けようと思います。