ヨツバプロフィール

こんにちは!ヨツバと申します。

わたしは大学卒業後、リハビリの専門職である作業療法士として計10年弱働いていましたが、

現在は京都のゲストハウスで働きながら、WEB制作や海外旅行に関する発信をしています。

大学生の頃に思いついたように短期留学をしてから海外旅行に目覚め、これまで訪れた国は30数カ国。

わたしの自己紹介とともに、海外旅行がわたしの人生にどう影響していったのか?を書きたいと思います。

転勤族だった小学生、人見知りで引っ込み思案な学生時代

わたしの家は引越しが多く、小学校は三度転校しました。

内気で人見知りだったわたしは、転校から数カ月はいつも緊張と不安でいっぱいでした。

自分を出さず、クラスに馴染むことばかりを考えていて、いつも自信がなかったように思います。

今になって思えば、このときいろんな場所へ移動することが普通の生活だったからこそ、わたしの中の「旅行気質」が育ったのかもしれません。

小学校~中学校のことをあまり覚えていないほど、特に目立ったことをせずに日々を淡々と過ごしていたように思います。

何の気なしに決行した海外デビューと初めての海外個人旅行

地元の高校に通ったのち、大学進学は実家を出て一人暮らしを始めました。

アルバイトや学校に忙しく、時間はあっという間に過ぎていきましたが、大学二年生の春休みにふと語学留学に行ってみようと思いつきます。

理由としては、三年生になると実習が始まるので時間が取れなくなるだろうということと、

周囲の人がやらないようなことがしたいという天邪鬼的な気持ちから、

インターネット上で留学斡旋をしている方を見つけて申し込みました。 

パスポートも持っていない状態から、学校を決めて航空券を予約して、スーツケースをレンタルして…と初めてのことだらけでした。今思うとよく決行したな…

出発の成田空港は心細すぎて泣きながら母へ電話したほどでした笑

行き先はオーストラリアのシドニー。

青い海が美しい、ボンダイビーチのそばの学校でした。

語学学校に世話係の日本人スタッフがいて、空港から学校紹介や近所の絶景ポイントへ連れてってくれて、その日の最後にホームステイ先まで送ってくれました。

ステイ先の方と緊張で震えながら初めて話した場面は、たぶんずっと忘れられない…

日本でさえ新しい環境に馴染むのに時間がかかるわたしですが、周囲の助けもあって充実した楽しい時間を過ごしました!

短期間だったし英語が上達したわけでもなく、失敗や恥ずかしい思いもたっくさんしたけど、毎日が新鮮であっという間でした。

震えながらも行ってよかった!

海外の味を知ったわたしは、同じ年の夏には友人とタイへバックパッカー旅行をしました。

不慣れで何も決めずに行ってしまった私たちでしたが、(これもよく行ったな…笑)何とか過ごした10日間ほどの旅行は、今でも思い返す最高の時間でした。

ぼったくりにあったり宿が見つからなかったりもしたけど、楽しかった!

何かに追われ続ける社会人時代

大学卒業後はある病院に就職しました。

信頼のおける先輩に恵まれ、厳しく忙しいけれど勉強になる環境でした。

だけど、病院というシステム、時間や仕事に追われる日々でこころの余裕は全くなく、

いつもどこかで辞めることを考えて、次の休みの日だけを楽しみに過ごしていたように思います。

そのころは、人間関係に悩んでいたこともあり、自分に自信がなく本当に自分のことが嫌いでした。

「 毎日を楽しく過ごしたい」
「自分のことを好きだと思えるようになりたい」

そういう苦くて強い思いと、楽しかったオーストラリアへの短期留学が頭に残っていたので、五年務めた会社を退職し、ワーキングホリデーに行くことにしました。

今度は長期の海外生活!行き先はもちろん、オーストラリアです。

理想とのギャップに悩んだ二度目のオーストラリア

今回は、以前とは別のエージェント、APLaCに依頼して海外生活の基盤を作っていきました。

語学学校は現地で見学して決めて、自分でシェアハウスを探し、携帯電話を持ち、銀行口座を開く。

最初は、自分のスペックを上げていくように、やることすべてを吸収して成長している実感があって充実していました。

学校が始まると、新しい友人ができ、授業も理解できるようになって、どんどん馴染んでいきました。

そして、馴染むと同時に、自分が停滞しているような気持ち悪さと、あまり楽しいと思っていない自分に気づき、「こんなはずじゃなかった」感が出てきました。

毎日が楽しくて時間があっという間だった以前の短期留学とは違って、楽しくないのです。

わたしは動揺し、焦ってもいました。

同年代の友人は、日本で着々と自分のキャリアを積み重ねたり、家庭を築いたりしていたからです。

わたしは海外へ行くという友人と違う道を選んだのだから、どうしても、ここで幸せに楽しく充実した時間を過ごしていなければならないと思っていました。

じゃないと、キャリアを捨てて(そんな大層なキャリアじゃないけど)お金と時間を使って、こんな遠くへ来た意味がない!

どうにか「楽しく」過ごすため、学校を変えたり、アルバイトを始めたり、週末にある地域のイベントに行ってみたりと忙しく動くようにしてみました。

だけどやっぱりいまいち「楽しい」を感じないまま時間は過ぎ、4ヶ月間の学校を卒業してオーストラリア国内旅行に旅立ちます。

悩み続けた先で解放の糸口になった友人の言葉

オーストラリアのワーキングホリデーには、地方で農業仕事などに一定期間従事すると、2年目のワーキングホリデービザを申請できるという制度があります。(セカンドワーキングホリデービザ)

わたしはその2年目ビザの申請を目指して農業仕事を行い、無事に申請する権利を得ましたが、その間もどこかにもやもやしたモノを抱えて、「充実」を演じていました。

農業仕事を終えたので、近くの町に移動してから西の都市パースへ向かう予定でした。

移動拠点となるアデレードというその町で、たまたま泊まったホステルがとても居心地よく、友人もできたのでパースへは行かず、結局だらだらと数ヶ月をそこで過ごしていました。

ある夜、タバコを吸う友人に付き合って外で話していたとき、何気なく自分のもやもやした晴れない気持ちを話すと、彼女は、

「自分のキャラが立つまでがキツイよね~」

と何気なく言いました。

彼女はそのときは英語がぺらぺらだったのですが、オーストラリアに着いたときはほとんど英語が話せず、ホームステイも上手くいかず、アルバイトはトラブルがあって続かないという状態。

アデレードに移動してからは、 同じカフェに毎日通って自分で英語を勉強しながら、夜はパブに行って話し相手を見つけてひたすら話すという実践で、今の英語力を身につけたとのこと。

アルバイトも観光もせず、 ホステルの清掃スタッフ(賃金はないけど無料で泊まれる)として同じホステルに住み続けていました。

彼女は他人と比較せず、自分の選んだ道を進んで自分のキャラを立て、そのときを充実させて楽しそうに毎日を過ごしていました。

別に何かを成し遂げなくちゃいけないわけじゃないし、楽しく過ごさなきゃ失敗ってわけでもない。

わたしはずーっと他人と比較して自分のキャラを無視してたんだな。

わたしは何かの呪縛から解放されたような、自分を受け入れてもらえたような、不思議な落ち着きを取り戻していました。

ワーホリの一年を通して、やっとスタート地点に立った気分でした。

世界を見る視点が変わって、日本からいろんなところへ飛び回った

オーストラリア滞在中にはアジア旅行にも行きましたが、国境を越えて隣の国へと移動していく中で、

「こうやって移動していけば、世界一周ってできちゃうんだなぁ」

と、気づきました。

遠い憧れのようだった世界一周旅行が現実に降りてきて、自分の視野が広がっていることに気づきました。新鮮な発見でした。

大学生の頃、震えるほど緊張して臨んだ海外旅行がいつの間にか身近になっていて、世界を見る視点が変わっていたのです。

その後、2年目のオーストラリア生活を経て帰国しました。

帰国直後は、日本という環境でどういう生き方がしたいのかわからなくなり、

しばらくふらふらといろんな場所へ出向いたりしているうちに、京都に住むことになりました。

そこで今もお世話になっているゲストハウスと出会います。

その後も時間と資金をつくっては海外旅行に出かけ、訪れた国は30ヶ国以上になりました。

そんなわたしができること

自分の性格や人間関係から生き方や将来について悩み、海外に助けを求めて飛び出しました。

同じように悩んで、解決の糸口が見つからずにもやもやしている人はたくさんいるんじゃないかなーと思います。

わたしのように海外へ行くことで人生が変わった人がいるってことを知っておくだけでも、ちょっとした光になるかもしれません。

今までの自分の経験が、悩んでる誰かのヒントや背中を押すことにつながればいいなぁと思っています。