ブッダが瞑想したマハーボーディー寺院(前正覚山)を下山し、通ってきた道と同じ道を帰ります。
時間はちょうどお昼すぎ。
この日は朝早く起きて山へ向かったため、みんな朝食を食べていなかったので腹ぺこでした。
こんな田舎にレストランがあるはずもなく、ブッダガヤの町まで昼食はお預けかと思った矢先、通りかかった村のある家族とイゴールが話をしている。
そのうちイゴールも他のみんなもベンチに腰掛けるよう勧められ、お茶やら果物が出された。なんだなんだ?休憩?
わたしはこのお茶や果物、大丈夫かな、お腹壊さないかなと心配したり、状況がわからず空腹もあってイライラし出してましたが、イゴールは煙草を吸い始めてかなり寛いでいます。
話を聞いていると、どうやら、このお宅で昼食をいただくことになったみたい。
衛生面や金額などいろいろと思うところはあるけれど、こんな機会はなかなかないだろうし、空腹なこともあってそのまま了解しました。
お世話になった家族のお父さんはオートリクシャ(バイクの後ろに荷台をつけて人を乗せる乗り物)の運転手でにこやかでとても穏やかな人でした。
後で聞いたのですが、私たちをもてなして手に入る現金は、彼の7人家族を10日ほど養える額だそう。
私たちが支払ったのは、町の食堂と同じ程度の額。
同額であっても食事内容ははるかに質素でしたが、誰の手にどれだけ入っているかわからない現金をレストランで払うよりも、はるかに真っ当であるような気がしました。
家の中でごはんを待つ人たち。
出してもらったのは、ほとんど具はなく、豆が少し入っているカレー。
味はちょっと薄めだけどスパイスが効いていて美味しかった。手で食べるのが難しい。
そしてこれも後から知ったのですが、果物は彼らにとってとても貴重であるし、いただいたご飯の量も多かったとのこと。
彼らなりの最大のおもてなしを受けていたわけです。
果物やごはんを前にして、自分の体調ばかりを気にしていて、なぜか先を急いでイラついた自分を恥ずかしく思いました。
急ぐ予定もないのに。
結局、この日も次の日も体調に変化はありませんでした。インドに受け入れてもらえたのかな。
彼らと別れて町へ戻ると、物や食べ物があふれている様や車とバイクがひっきりなしに走る様子に違和感と別世界のような気持ちを感じました。
たった一日町を離れただけなのに。
インドの素顔を見た仏教の聖地ともお別れ。
この日の夜行列車でいよいよガンジス川の流れるバラナシへ。