エストニアの首都タリンにフェリーで到着したのは夜10時。真っ暗。
予約した宿は港から徒歩10分の場所にある旧市街地の中らしい。地図を頼りに歩きだす。のですが…
わたし以外の乗客は迎えが来ていたり、置いておいた車に乗り込んだりと颯爽と消えていき、わたし一人、ぽつんと歩いている。公共交通機関はなく、歩いている人というのがいない。道を聞くことすらできない。
周囲は高速道路のような大きな通りがあるだけの殺風景な場所で、旧市街地の雰囲気なんてないし、ましてや宿なんてあるようには見えない。
これはヤバいなー…。
地図が入っているタブレットの充電が気になりだしたとき、夜中に明らかに迷っているわたしを見つけて、道路の反対側から若い女性がこちらへ向かって来てくれた。
天使か!
流暢な英語で旧市街地の場所と、宿までの道を教えてくれて、なんとか目当ての宿を見つけました。よかったあ、遠かったし怖かった!
予約した宿は、そのあたりでは最安の14人男女混合ドミトリー。14人て。
案内された部屋は広そうだけど、夜中だったので真っ暗で、どこに何があるのかわからない。当然みんな寝てるんだけど、どのベッドが空いてるのかもわからない。
人の荷物につまずいたりしながらようやく空きベッドを見つけて、暗い中なんとかシーツを敷いてやっとやっと横になりました。同じ日にヘルシンキで優雅にサーモングリルのランチを食べてたとは思えない笑
ぐっすり眠って起きると、朝の9時だけどカーテンがまだひかれてるのでまだ暗い。14ベッドはすべて埋まっていたようですが、まだ半数以上は寝ている気配。
ソファやテーブル、ロッカーもある広いこの部屋は、木製の床や縦長の窓が古いヨーロッパの雰囲気で素敵なんですが、なぜか落ち着かない。なんとなく長くここにいたくなくて、素早くシャワーを浴びてチェックアウトし、町へ出ました。
昨日の夜は暗かったし必死だったので気付かなかったけれど、晴れた昼間に旧市街に出ると、もうそこはイメージ通りのヨーロッパでした。
石畳の道路にカラフルでかわいらしい家、窓辺に花、パラソルの下に白いテーブルを構えるカフェ、石でできた古い教会、町の真ん中にはレストランとカフェで囲まれた広場、などなど。
天気も良くてあたたかく、旧市街の広場を眺めながらの昼ビールは格別!でしたよ。
テーマパークのように整った観光地なのに、そんな中を地元の人が普通に暮らしているというのがちょっと不思議。
よく考えてみると当たり前だし不思議なことはないんですが、上手く調和しているというか、地元の人もこの旧市街地を楽しんでいるというか、そういう感じを受けました。
あちこちで世界各国からのツアーガイドさんが説明をしている傍ら、石畳の上を力強く乳母車を押すお母さんが通って行く。
そんな旧市街地では、教会や時計台などのアイコン的な建物よりも、普通の住宅として使われているであろう古い建物の窓やドアとか、壁の色とかレンガとか、小さなレストランやお店の看板だとか、そんなものに心ときめいていました。
この建物たちは遥か昔からここにあって、用途や住む人を変えながらもその時代の人々に使用されて、今もなお現役で使われている。
くたびれた色の壁やところどころ壊れている大きなドア、重い窓。
新築のマンションにはあり得ない不便な作りも、人が使っているとそれが普通で日常の光景になり、とても魅力的に見える。
この建物は「スリーシスターズ」という三棟並びの有名なホテルです。泊まってないですけど。古い建物だけどしっかりした佇まいはさすがの貫禄。
旧市街地を満喫した後、夕方のバスで隣国ラトビアへ行く予定だったので、早めにバスターミナルへ向かうことにしました。
ここは観光地だからか、やはり英語を話せる人が多い。
バス停で地図を広げようものなら、すぐにおじいさんが近づいてきて「どこへ行くんだ?」、近くにいたお兄さんを捕まえて同じ方向へ行くことがわかったら「一緒に連れてってやれ」と助けてくれます。
なんて旅人フレンドリー!
日本も京都も、「制度をつくろう」「英語表記にしなきゃ」「通訳ガイドを増やす」っていう表面的な対策ばかりじゃなくて、こういう普通にいるおじいさんやバスの運転手やお姉さんが、親切に世話を焼けば、それで十分なんじゃないのかな。ハード面より、躊躇わずに英語で声を掛けられるというような、個々人のソフト面の充実の方が大事なんじゃないかなー、と思いました。
おかげで何の問題もなく早めにバスターミナルに到着。バスを待ちました。
向かうのは隣国ラトビアのリガへ。