夜行電車で着いたバラナシの町は、早朝だったこともあって静かでした。
まだ暗い中を駅からガンジス川沿の方へ移動し、予約してあった(かどうかは不明だけど、イゴールは知ってる宿っぽい)ゲストハウスへチェックイン。
チェックイン時間なんてないので(書いてあっても守られない)、早朝にも拘らず玄関のドアをどんどん叩いて大声で中のひとを呼ぶ。
これが許されるのがインドスタイル。
空が明るくなってきてから改めて出かけて、そして初めて見たガンジス川。
川に沿ってずーっと建物が並んでいる。
ガンジス川沿いにはガートと呼ばれる階段状になった川へつながる沐浴場がたくさん並んでいます。
ガートは物を売る場所であり、犬やヤギの寝る場所でもあり(時に人間も)、洗濯物を干す場所でもあります。
その各ガートから川とは反対方向は、階段をのぼりながら奥へ奥へと道がつながって町を形成していますが、これが迷路のように細い道が入り組んでいてとっても複雑。
細い道沿いにはレストランから土産物屋、寺、ラッシー屋、お菓子屋から死体安置所、宿などなどが所狭しと並んでいて、しかもその細い道にでかい牛がどんと動かないなんてこともしょっちゅうで、それでもバイクは通るし犬もそこらじゅうにいるし、ヤギもいるしで、雑多極まりない。
どこを通ったのか、今どのへんにいるのか、川へ近づいてるのか遠のいてるのか、最初は全然わからない。
それでも、この雑多な感じ、ごちゃまぜで何でもありな感じ、なぜかわたしは居心地よくて好きでした笑
何度も同じ道を通るとさすがに見慣れた道も増えてきて、人懐こいインド人と挨拶を交わしたりする。
ロシア人4人とアジア人1人の団体は目立っていたからかもしれないけど。
驚いたのは、お店の人や通りがかりのインド人が私以外のみんなにロシア語で話しかけてきていたこと。
私からすると、ロシア人もイギリス人もアメリカ人も外見はあまり変わらず見分けがつかないのだけど、彼らにはわかるらしい。
それと、お店のひとが片言のロシア語を話せるほど、ロシア人観光客が多いのだということ。
わたしの勝手なイメージでは、ロシアという国は閉鎖的で国民はあまり外国旅行などには行かないんだろうと思っていました。
よく考えれば、ルーマニアでは旅行中のロシア人二人と時間を過ごしたし、オーストラリアの語学学校にもロシア人がいたし、アーヤはいろんな国へよく旅行に行っている。
思い込みって、知らない間に勝手に自分の固定概念を作る。
バラナシまでは見るべき寺院や行くべき場所がある程度決まっていたので忙しないスケジュールだったけど、ここではしばしの自由時間。
ぶらぶら路地を行ったり来たり、朝ごはんもゆっくりだらだら、楽器のお店に寄って話し込んだり、ラッシーを飲んだりチャイを飲んだり。
ある夕方にはボートに乗って、毎晩行われるプージャ(祈りの儀式)を見に行きました。
すごい数の人々が祈りを捧げるなかなか大規模な儀式。これが毎日。
もちろん、火葬場も見学しました。
火葬の場面は撮影禁止ですが、観光客でも地元の人に混じって見学することはできます。
細い路地を白い布に包まれた死体が担架のようなものに乗せられて、火葬場へと進む。
ひとつの死体の火葬が終わるとまたどこかの路地から死体が運ばれ、次々と燃やされます。
お金のある人はたくさんの薪が買えるけれど、そうでない人はそれなりの薪しか使えず、いわば半焼けのような状態で川へ流される。
それでも、彼らにとっては聖なるガンジス川に流されることは何よりも尊く有難いことなのだそうだ。
生も、死も、欲も、生活も、祈りも、すべてが存在するガンジス川は、間違いなくインドの人々にとってのゆるぎない中心地でした。
シンプルで荒々しく、色とりどりにそれぞれが生きていました。