バラナシぶらぶらデイが続くある朝、ボートを借りて朝のガンジス川に行きました。
バラナシの朝は沐浴をする人々で賑わい、おぉ、これぞインドという景色が広がります。
近くで見ると超絶汚いガンジス川ですが、沐浴する人々を見ていると神聖な美しい川にも見えるから不思議。
現在は法律でカースト制度を禁止しているインドですが、バラモンの印である白い紐を肩にかけている人もわりとたくさん見かけました。
その昔はアンタッチャブルと言われたカースト外の人々は川の向こう岸に住んでいて、観光客は行けないような場所だったそうです。
今では普通に行けるし、人々が祈りを捧げていたり、修行僧が滞在していたりします。

川の向こう側にいた人々。嫌々沐浴させられる子。
そして朝は洗濯の時間でもある。
沐浴する人々のすぐ横で洗濯をする人たちがいる。
ガート毎に沐浴をする場所、洗濯をする場所、火葬する場所というふうに決まっているのだそう。
これまで三か月弱、特に体調を壊すこともなく順調に進んできたのですが、ついにインドの洗礼を受けました。
それは突然やってきた。
一日ぶらぶらした夜、行きつけのチャイ屋に行ったとき、スパイシーで美味しいいつものチャイがどうにも美味しくなく感じ、気持ちが悪くなってきた。
時間が経てば治まるだろうと思って話をしながら大人しくしているも、状況は悪くなる一方で、急に熱が出たような気だるさと頭痛、下腹部痛がどんどん強くなってきた。
みんなはまだ帰らなそうなので先に帰っている旨を伝えて歩きだしたものの、真っすぐに立てない程腹痛が強く、目が回る。
チャイ屋から宿までのなんと遠いこと。
人懐こいインド人が声もかけてこない程、緊迫した表情だったのでしょう。
部屋に帰るなりトイレに籠ったのは言うまでもありませんが、その夜は一晩中吐き気と頭痛と腹痛に襲われて散々でした。
そんな悲惨なわたしに対して同室のアーヤは、探していたミント系の食べ物を見つけてご機嫌で帰ってきて「食べる♪?」と。
アーヤよ。わたしはそのにおいだけで吐きそうなのだよ。
長いようで短かった、とても濃い時間を過ごしたアーヤやイゴールとはここバラナシでお別れ。
彼らはこの後北上し、ヨガで有名なリシュケシュへ行きますが、わたしはバラナシで友人と待ち合わせをするために残ります。
一晩中苦しんだ翌日は何とか立っていられるまでになったので、ひとりひとりにお別れを言って見送りました。
涙ながらのお別れ…ではなく、わたしは具合が悪かったし、彼らロシア人は別れにはわりとドライなので(わたしにはそう感じる)あっさりしたものでした。
わたしは宿を変えるためにチェックアウトし、重い荷物を背負ってなんとか別の宿へ移動し、友人を待ったのでした。